【自分語り】僕のゲイ人生の軌跡⑤ ~那覇で自分の人生について考えた~

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那覇に転勤してからの仕事と生活

社会人2年目から那覇支社に転勤になり、最初はウキウキでした。

しかし、1年目の研修とは打って変わって本格的に業務に関わるようになってからは大変でした。

正直仕事として難しいものはそんなになかったと思いますが、拘束時間が長いのと休日が潰されるのが非常に苦痛でした。

朝8時から23時くらいまで仕事をし、家に帰るとお風呂に入って寝るだけという日々を過ごしていました。

土曜日もちょくちょく出勤しなければならないことがあり、僕のストレスはどんどん溜まっていきました。

それでも東京でしていたような応援団の活動みたいなものがあれば、もっと頑張れていたのではないかと思います。

人生について考えた

仕事とは別で家族の問題もその頃の自分を苦しめました。

実家から遠く離れられて僕としては良かったのですが、それに伴って両親からのプレッシャーが更に大きくなってきました。

まぁ跡継ぎが物理的にも心理的にも遠くに行ってしまうのですから当然不安になりますよね。

仕事のこと、家族のこと、いろいろと僕を苛むものが増え、

「あぁ、このままだといつか病んでしまうな。」

と思い、僕の人生に必要なものについて真剣に考えてみることにしました。

  • お金
    自分はゲイで結婚も育児もしないし、大きな家が欲しいわけでもない。
    1人の生活には困らず、貯金とたまに旅行ができる程度で良い。
  • 仕事のやりがい
    いらない。今のところやりたい仕事もない。
  • 休み
    可能な限りたくさん欲しい。長い休みが欲しい。遊びたい。
  • 自由
    誰にも何にも縛られたくない。
    休日にも仕事のことを考えるなんてまっぴらごめん。

その頃の状況で言うと、お給料はたくさん貰っていたのでお金はあり、仕事のやりがいはなく、休みは少なく、自由もない(常に仕事のこと考えている)といった感じでした。

なるほど、現状は僕の望む人生とは程遠いものだと気付きました。

仕事を辞め、沖縄に残る決断

仕事を辞める後押しとなったのは、内地にいる同期の仕事状況もありました。

彼らともちょくちょく連絡を取っていましたが、どうも内地の支社や本部の状況は

  • 基本的に24時までに退社できることはない。
  • 土曜日はほぼ確実に出勤。
  • 日曜日も潰れることが多い。

と、那覇支社よりも更に劣悪な労働環境のようです。

現時点でかなり音を上げている僕が内地に戻ってやっていける気が全くしませんでした。

このままダラダラ会社に残ると2年後には内地に戻されるのは必至です。

沖縄自体は凄く好きになっていたので、僕はこのまま沖縄で転職しようと決断しました。

沖縄の給与水準の低さに絶望

まず手始めにハローワークへ行ってみることにしました。

そこで求人を見て、「これは沖縄で転職するのは無理かもしれない。」と決心が揺らいでしまいました。

額面で15万円いかないような求人のオンパレードで僕はかなり衝撃を受けたのを覚えています。

さすがにこれでは「1人の生活には困らず、貯金とたまに旅行ができる程度」という条件すらクリアできません。

それで休日が多いならまだしも、給与が低い上に年間休日が120日を切っているようなものもざらにあります。

沖縄の給与水準が低いことは知っていましたが、よもやここまでとは……。

絶望しながらも根気よく求人を探し続け、やっとそこそこ高い(内地では標準程度)職業を見付けました。

それは小学生相手の塾講師です。

正直、子供に教えるなんて自分に出来るとは思えなかったのですが、仕事を辞めたい気持ちとそこそこの給与に惹かれて深く考えずに応募しました。

そして、面接と簡単なテストを経て内定をもえました。

しかし、今思い返すとこれはかなりの悪手だったと言わざるを得ません。

それに気付くのは当然転職した後です。

塾講師という最悪の1年

仕事を辞め、塾講師に転職しました。

結局1年で辞めてしまいましたが、この1年間は僕の人生の中でも本当に無駄な時間だったなと思います。

前職は仕事に思い入れは無かったものの、基本的な社会人としてもスキルなんかを叩きこまれたので人生の糧になったこともたくさんありました。

しかし、塾講師で身に付いたものは殆ど無いに等しいと思います。

もっと言うと子供が嫌いになったのでマイナスですらあったんじゃないでしょうか。

これは僕が悪いのですが、塾講師が「接客業」という認識が全くなかったのが問題でした。

塾に来る生徒は当然「お客様」なのでご機嫌取りをしなければなりません。

そしてその親御さんからの様々な要求に可能な限り応えるというスタンスだったので授業以外の業務も膨れ上がるばかりです。

特に授業が終わった後も自習でずっと残っている生徒が多数おり、退社時間が遅くなるのは予想外でした。

22時とか23時とかまで自習している子供には感心もしましたが、そんな時間まで勉強させる親の神経を疑っていました。

自分が小学生の頃なんて遅くとも21時には寝ていましたし、宿題以外で勉強なんてしたことがなかったので、こいつら全員頭おかしいだろと思っていました 笑

生徒や親のいいなりになり、就業時間が守られず、残業代もきちんと払われない。

完全にブラック企業と言って良いでしょう。

しかも一番意味不明だったのは、授業を行う為の準備を就業時間内にしてはいけないという謎の規則でした。

小学生の授業とは言え、有名私立中学校の受験を視野に入れている教材は準備をしていないときちんと教えられるようなものではありません。

中学受験の勉強はかなり特殊で、馴染みがないと大学生でも苦労するような問題が多いです。

なので準備にはそれなりに時間がかかるのですが、それを家でやって来いと言うのです。

はっきり言って意味が分かりません。

なんで貴重な休暇を仕事の為に潰さなければならないのか。

1年経つ頃には塾講師という業界に辟易し、受験シーズンを終えた段階で退職届を叩きつけました。

この時は一刻も早く辞めたかったので、次の仕事はまだ決まっていませんでした。

そして、半年ほど失業手当を貰いながら求人活動を行い、今現在の職業を見付けることができました。

今の職業については次回以降で。

では、また。

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