社会人になり東京へ
社会人になった僕は東京へと進出しました。
といっても別に東京に憧れとかがあったわけではないです。
それでもやはり都会の人の多さや物の豊かさは凄いなぁと感動しました。
僕は金融系の総合職に就いたのですが、最初の1年間は研修と実習でずっと東京にいました。
まず初めに感じたのは同期とのモチベーションの違いです。
僕は結婚する気も無く、バリバリお金を稼ぎたいとは思っていなかったので、「そこそこ稼いで楽しく暮らせればいいなぁ」と思っていました。
しかし、周りの同期達は凄く意識が高くて出世欲もあり、将来的に仕事でこうなりたいとか、海外に行ってみたいとか言っていて、「あれ、なんか違うかも……。」という気持ちになりました。
それでもそんなことはおくびにも出さずに何とか研修に付いていっていました。
会社の部活動・応援団
正直なところ仕事(研修/実習)は自分にとって特にやりがいを感じるようなものではありませんでした(色々勉強にはなりました)。
それでも僕が会社を辞めずにいられたのは会社の部活動のお蔭です。
その会社には社会人野球のチームがあり、それの応援を指揮する応援団がありました。
僕の直属の上司が元応援団の方で、配属直後にほぼ強制的に練習に参加させられました。
「社会人の応援団ってなんぞや。」と思いながら渋々練習に参加したのですが思いのほか楽しかったのでその日に入団を決めました 笑
恐らくイメージ湧かない人もいると思うので参考までに動画を貼り付けておきます。
(YouTubeで「社会人 応援団」と検索して出てきた適当な動画です。)
こちらの動画の一番手前で客席に向かって踊っている人たちやドラムを叩いている人、チアリーダーなどが応援団です。
試合の際に観戦に来ている人たちの応援を指揮したり盛り上げたりする役目があります。
音楽に合わせて体を動かすというのは元々好きだったのでとても楽しかったです。
それに別の部署の先輩ができたりして仕事する上でも助けられることもありました。
団員の方々も社会人1年目の僕をとても可愛がってくれたので非常に居心地が良かったです。
あと、(自分で言うのも何ですが)僕は応援の振りの飲み込みも早くて上手かったのでその点でも評価されていたと思います。
試合本番でステージに上がれる人数は決まっているので団内で選抜も行われます。
たかが応援と思っていたのですが想像以上に体育会系らしい組織でした。
また、野球シーズン中の練習は毎週末行われます。
土曜日の午前・午後と日曜の午前に練習があります。
もちろん土日に仕事が入った場合は休んでいましたが、僕は可能な限り参加していました。
なので休日も遊びにいくことがほとんど出来なかったのですが、僕は応援団が凄く楽しかったので練習は全く苦痛ではありませんでした。
東京でのゲイ活動
上述のように応援団に所属していた僕は、せっかく東京に住んでいたにも関わらず殆どゲイ活動はしていませんでした。
新宿二丁目に飲みに行ったことも、行こうと思ったこともなかったです。
隣町にハッテン場があったので月に2~3回行ってはいましたが。
余談ですが、去年東京へ遊びに行った際にゲイの友人に連れられて30歳にして二丁目デビューを果たしました。
そもそも応援団が楽しくて充実していたのでその他のことに時間も心も割きたいと思っていなかったのだろうと思います。
今思い返してもその頃の東京で出会ったゲイの顔が全く思い浮かびません。
何回かはリアルもしていたと思うのですが記憶に全然ない……。
大学生の頃もそうですが、何か打ち込めることがあると全くゲイ活動しなくなるんですよね。
逆説的にゲイ活動しまくっている今現在は熱中できるものが無いのかもしれません。
沖縄へ転勤
1年目の研修と実習が終わり2年目に上がる段階で全員に辞令が出ます。
そこで僕は「那覇支社」への配属を言い渡されました。
最初は驚きましたが、嬉しい気持ちの方が大きかったです。
僕は海が好きで沖縄には旅行してみたかったのですが、その頃はまだ訪れたこともありませんでした。
まさか住めることになるなんて、とウキウキです。
そう思うと東京なんかよりよっぽど憧れていた土地でしたね。
1年目の内に何回かあった人事面談では「地方の支社に行きたい。」と表明していたので希望を聞き入れてもらえた形になります。
こちらの記事でも書いたのですが、僕は家業を継ぎたくなかったので奈良県からなるべく遠いところに行きたかったのです。
もちろん人事面談でそのまま伝える訳にはいかないので適当な理由をでっちあげてはいましたが。
そんなこんなで僕は沖縄へとやってくることができたのでした。
ダラダラ書いてしまうので今日は短めで終わります。
では、また。
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