【自分語り】僕のゲイ人生の軌跡② ~高校生編~

自分語り ゲイ
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ネタに困ったら自分語りしようと思っていて忘れていました。

割りと書くことがあったのは良いことですね。

前回の記事は下からどうぞ。

では高校時代から振り返ってみます。

部活と受験の高校時代

水泳部への入部

晴れて志望していた高校に合格できた僕は部活動に入ろうと決意しました。

入学当初はテニスに強い憧れがあったため「絶対にテニス部に入ろう。」という強い意志を持っていました。

同じ中学校からきた友達と一緒にテニス部の見学に行ったのを覚えています。

しかし、テニスコートに向かう途中で水泳部の方々に囲まれて勧誘を受けました。

その時はテニス部に入るつもりだったので「すみません。」と断ったのですが、水泳部の先輩方は良い人そうだなぁという印象を持ちました。

水泳部を振り払ってテニスコートに行くと僕と同じようにテニス部の見学に来ている新入生がずらりと並んでいました。

僕と友人も新入生の集団に加わったのですがそのあとはずっと部活の準備を見せられているだけで先輩方は全く話かけたりしてくれません

今思うとそんなに悪いことではないと思うのですが、当時の僕はその時点で

「テニス部は無いな。」

とすぐに見切りをつけてしまいました。多分テニスコートにいたのは5分くらいだったと思います。

一緒に見学にきてくれた友人に

「ごめん、テニス部は入らないわ。」

と謝ってその日は家路に着きました。

余談ですが、この年はテニス部の新入部員はかなり多かったのですがのちのち大量の退部者が出たことを考えると僕の判断は正しかったのだと思います。

テニス部に絶対に入ろうと決意していたので僕は非常に困ってしまいました。

そのときに浮かんできたのは楽しそうな水泳部の先輩方の姿でした。

次の日の放課後、僕の足はプールへと向かっていました。

昨日は無碍に断ってしまったのにも関わらず、先輩方は楽しそうに僕を勧誘してくださいました。

僕はその日に入部を決意し水泳部に入ることになりました。

水泳は得意ではありましたが部活動でやったことはなく経験者の多い競技でやっていける自信は余りなかったのですが、何よりも部活の雰囲気が凄く良かったので頑張ろうと思えました。

結局最後まで特に目立った成績を残すことはできなかったのですが部活動に打ち込んだ経験と部活の仲間のお蔭で楽しく高校生活を送ることができたので入って良かっと思います。

高校生活とゲイ活動

高校の間はゲイ活動は全くしていませんでした。

というか自分がゲイだから何かをしようというようにに意識したことがほとんどなかったと思います。

前回の記事でも書きましたが、周りに自分以外のゲイがいるなんて思いもしていなかったのでそういうことを考えるという発想自体がなかったです。

それに、部活動や勉強に打ち込んでいてそれどころじゃなかったのでしょう。

男の裸見放題の水泳部に入っていましたがその時も別に何もなかったです。

そもそも僕はいかがわしい理由で水泳部に入ってないので 笑

水泳部員でお泊り会した時に寝相悪いふりしてマッチョな子に密着したくらいですよ。

志望大学の決定

大学受験をしっかり意識したのは高校3年生になってからでした(遅い……)。

特に将来の夢なんかが無かったので志望大学を決めかねていました。

取り敢えず自分の学力で狙えるなるべく良い大学にいけばいいやと思っていました。

両親は宗教系の大学への進学を希望していたのですが絶対にイヤでした。

経済状況的に両親から仕送りを貰って一人暮らしをするというのは難しい状況だったので、大学に入ってからは親戚の家に居候するということになりそうでした。

名古屋と京都に親戚に家があったのでどちらかの都市にある大学に進学先は限られました。

決め手になったのは意外なものでした。

その頃僕は高校の部活動とは別に地元のマーチングバンドに所属していました。

このマーチングバンドは小学校の頃からずっと続けておりとても大好きなコミュニティでした。

当然なのですが名古屋の大学に行ってしまうともう練習には参加できません。

「京都だったら迎えに行けるから!」

とマーチングバンドのリーダーに言われて僕の志望校は決定しました。

ただ受験に落ちても浪人をするのは経済的に厳しかったので

前期試験で京都の大学、後期試験で(レベルをかなり落とした)名古屋の大学、滑り止めで両親の希望する宗教系の大学を受けるということにしました。

受験勉強

志望大学が決まってからはどうやったら合格できるかを分析しました。

自分の得手不得手、志望大学の過去のデータにある最低合格点数からどの科目で何点取るかを概算してそれをもとに勉強のプランを立てていきました。

僕の傾向として、得意なのは数学と国語、英語が普通で歴史が苦手でした。

歴史は壊滅的で「100点中50点取れればOK」としていたのですが、二次試験で実際にぴったり50点だったのは笑いました。

周りの友達は塾に通っている子が多かったのですが、僕は両親への金銭的な配慮でZ会を利用していました。

ご存知ない方に説明すると、Z会はテキストが家に送られてきてそれを自分でこなしていくスタイルです。

一定期間ごとにテストも送られてきて、それを郵送すると添削されて返ってきます。

もともと一人で勉強するのが好きだったのでこの方法は僕に非常に合っていたと思います。

しかし、受験期は無我夢中で机に向かっていましたが今同じようにできる気がしません 笑

高校生って凄いなぁ 笑

そのころは僕は勉強に対するメンタルも強靭でした。

模擬試験も何回も受けたのですが毎回最低判定のDでした。

入試直前の模試の判定すらDだったはずです。

しかし、高校生の僕はそれに全くへこたれていませんでした。

「Z会を続けていれば合格できるんや!」

という、なんの根拠もない妄想を信じて疑いませんでした。

結局それが功を奏する形になるので、思い込みも時には役に立つようです。

大学入試

センター試験も終わり志望大学の最終決定・願書提出の時期になりました。

その頃には無敵のメンタルを身に着けていた僕は

「滑り止めの大学なんかどうせ行かないし受験料の無駄やん!」

という天才的発想に至り、滑り止め(宗教系の大学)への願書を出さないという暴挙に出ました。

なんでそんなに自分を追い詰めることができたのか、今の僕には理解できません。

とにかく背水の陣で受験に挑むことになりました。

入試の前日は大学にほど近い親戚の家に宿泊しました。

就寝直前までテキストを見直し、試験に向けて早めに就寝しました。

当然無敵メンタルの僕は緊張して眠れないということもありませんでした。

試験当日の朝、出発の直前に神殿で参拝をしました(親戚の家は教会)。

その時になって遅れてきた緊張感に心が揺さぶられました。

僕は実家の教会を継ぎたくないという反骨精神で勉強をしていました。

なので、ここで神様に

「合格させてください。」

とお祈りすることだけはしたくありませんでした。

もし合格できたとしても神様のお蔭になるのが嫌だったのです。(コイツは何と戦ってんの…笑)

それでも心の平穏を取り戻すために

「自分の実力を発揮できますように。」

とお祈りしたのを覚えています。

これなら合格でも不合格でも自分自身の責任になるだろうという魂胆(?)です。

ともかく平常心を取り戻し入試に臨むことができました。

これは自分でも本当に凄いと思うのですが、僕は入試当日に完璧にコンディションを合わせられていました。

体調もメンタルもそうですし、間違いなく入試当日が今までの人生の中で一番頭が良かったと思います。

数学の問題なんて模試だと1割くらいの点数しか取ったことなかったのに、当日は7割くらい解けていたと思います。

この記事を見ている受験生なんていないと思うのですが、受験勉強は本当に最後まで諦めないことが大切だと思います。

合格発表

入試が終わってから合格発表までの数日間は悶々とした日が続いて地獄でしたね 笑

その期間に卒業式もあり、中には志望校が決定している友達もいました。

手応え的には半々かな、という感じだったのでプレッシャーが半端なかったです。

どちらかというと不合格だった場合に後期試験の勉強をしなければならないというのが嫌で嫌で仕方なかったと思います。

そう、無敵メンタルの僕は前期試験で受かる前提で勉強していたので後期の大学の対策など何もしていなかったのです。

そもそも前期試験が終わった段階で勉強を始めるべきだと思うのですが、もう勉強したくないという気持ちが強くて全く机に向かう気になりませんでした。

合否はWeb上でも確認できるのですが、

「合格発表は現地で見るべきだ。」

という謎のこだわりを持っていたので僕はわざわざ京都へと足を運びました。

正午ぴったりに合格者の受験番号が掲示板に貼りだされるのですが、僕は大勢の中で喜んだり落胆したりしたくなかったので13時に着くように調整して会場に向かいました。

正午を過ぎてからは携帯の電源を切りました。

これは僕の受験番号を知っている両親や友達が先んじて連絡してくるのを防ぐためです。

会場に到着しました。

周りに人はおらず僕は一人で掲示板に近づいていきます。

受験番号00011番は…

ある!

喜ばしいことに僕は大学に見事合格したのでした。

どちらかというともう勉強しなくてもいいという安堵が大きかったように思います 笑

小さくガッツポーズをして喜んでいると

「合格したの?おめでとう!」

と声をかけてきた人物がいました。

舞い上がっていた僕は特に警戒もせずに「そうなんです!一緒に確認してください!」といってその人にも確認してもらって一緒に喜びました。

別にその人は変な人ではなく、部員の勧誘をしている体育会系部活の大学の先輩でした。

大学入学後にこちらの部活に入ることになるので、そういう意味では運命の出会いでしたね。

合格したことを報告せねばと携帯を取り出し、まず最初に電話をしたのがマーチングバンドのリーダーでした 笑

志望校の決定打になった方だったので誰よりも先に伝えなければと思っていました。

電話で合格の報告をするとリーダーは凄く喜んで祝福してくれました。

しばらく話していると急に電話が途切れてしまいました。

何事かと思うと携帯電話の電池がなくなってしまっていました。

このあと両親や学校の先生、入試前日にお世話になった親戚にも報告しようと思っていたのにできなくなってしまいました。

まぁ別にあとからでもいいかと、僕はしばらく大学キャンパス内を散歩しちょこちょこサークルの勧誘なんかも受けながらニヤニヤしていました。

ひとしきり大学の空気を楽しんだあと、京都の親戚の家に向かいました。

合格の報告と携帯の充電をするためです。

親戚の家に着くと

「大丈夫?」

と心配そうに声をかけられました。

僕としては訳が分からなかったのですが、どうやら電話連絡がないので不合格になって僕が落ち込んでいると思ったようです。

合格したことを伝え、携帯を充電して両親にも電話をすると親戚と同様に心配していました。

何はともあれ無事に大学に合格できたのでありました。

なんでこんなに長くなるんだろう…

ほとんど大学受験体験談みたいになってしまいました…。

こんなつもりはなかったのですが。

というか需要があるのか甚だ疑問です。

でも自分の人生を文字に起こして振り返るのは案外面白いですね。

まぁ自分語りに関してはあまり読者を意識せずに徒然なるままに書いていきたいと思います。

次は大学のことを書くつもりですが、このままだと大学編だけで3記事くらい書いてしまいそうですね 笑

またネタに困ったら自分語りしたいと思います。

では、また。

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