こんにちは、しんたろうです。
今日は僕の人生の軌跡を語っていきたいと思います。
ゲイを自覚した時のことも思い出しながら書いていきます。
出生からゲイを自覚するまで
教会に生まれて

僕の実家は教会で、両親は敬虔な信者です。
そしてそこに待望の長男(=後継者)として生まれたのが僕です。
一応言っておくと、今の僕は特に神様とかは信じていません。
長男として生まれたということは将来的に教会を継ぐことを期待されていたわけです。
それはそれは蝶よ花よと育てられました。
うちに参拝にくる信者さんたちも
「しんたろうちゃんは将来は教会長だね~。」
と非常に可愛がってくれました。
このことは後々、というか今も僕を縛る鎖となってしまっています。
とはいえ、当時お世話になった方々には非常に感謝しております。
そう言われ続けていたので、
「将来は教会長になるんだ!」
と幼少期は思っていました。
その頃は男の子が好きと思ったことはなかったのですが、よく女の子に間違われました。
そしてそのことを嫌だとも感じてなかったように思います。
小学校低学年くらいまでは女の子に交じって遊ぶことも多かったですし、むしろ自分から女の子に寄せていってた気もします 笑

先日ちょうど帰省したので幼少期の写真を撮ってきました。
可愛いですね 笑
これはそんなに女の子には見えませんが。
ちなみに現在は女装願望はありません。
ゲイの自覚

自分がゲイであると自覚したのは小学校の高学年くらいだと記憶しています。
当時はゲイなんて言葉を知らないので、
「自分は男の子の方が好きだな。」
くらいの感覚だったと思います。
そしてそれを深刻に捉えたりはしなかったですね。
セクシャルマイノリティの方の中にはかなり悩んでしまう人もいるそうですが、自分は性格上かなり割り切れていたと思います。
ただ、自分と同じような人がたくさんいるとは一切考えておらず、
「きっと黙っておいた方がいいんだろうな。」
と思って誰かに打ち明けたりといったことはしませんでした。
当然男の子に告白したりとか、手を出したりとかすることも自分の中で禁忌としていました。
部活の合宿で寝る時にちょっと密着してたぐらいですかね 笑
大学2年生くらいまで自分以外にもゲイが多くいるなんて考えもしていなかったので、成人するまで他のゲイの人と接触したことはありませんでした。
人生の転機と家を継ぐことへの反発
勉強に目覚めた中学時代

明確に僕の人生を変えた人物が2人いるのですが、それは2人とも中学時代の友達でした。
ひとりはK君、ひとりはN君です。
僕に火をつけたK君

僕は小学校のころから勉強は比較的できていて、中学校に入って最初のうちは学年上位25%くらいに入っていました。
K君は仲が良かったのですが勉強の方はそこまでで、下から数えた方が早かったと思います。
見下していた訳ではありませんが
「K君には勉強では負けないな。」
という自負がありました。
しかし、中学生活が進むにつれ、僕の順位はちょっとずつ下がり、逆にK君はちょっとずつ上がってきました。
そして、ある定期テストの時、僕はそれまでで最低の順位を叩き出し、遂にK君に負けてしまいました。
しかも、K君はそのテストが特別良くできたようで、かなり差をつけられて負けたと記憶しています。
そんな態度はK君の前では一切出しませんでしたが、僕はその事がたいそうショックでした。
それまでも特に勉強をさぼっていたわけではなかったのですが、
「次の定期テストでは絶対にK君に負けないぞ。」
と意気込み、それまで以上に家で勉強するようになりました。
そして次の定期テストで僕はその時点で過去最高の順位を取りました。
一方K君は前回よりもかなり順位を落としていました。
まぁそもそもK君は僕に張り合う意思はないので何を思うでもなかったはずですが 笑
それ以降、僕は勉強の習慣がつき定期テストで良い順位をずっとキープしていけるようになりました。
高校で別になってから連絡を取ることもなくなってしまいましたが、K君のおかげで勉強の習慣が身に付いたことは本当に感謝しています。
選択肢を提示してくれたN君

僕が通っていたT中学校は宗教系の学校です。
そして基本的には同じ宗教系のT高校へほぼエスカレーター式で進学できます。
なので、学年の7割くらいの生徒はT高校へと進学します。
僕もその頃は教会を継ぐものだと思っていたので、ご多分に漏れずT高校へ進学するもんだと思い込んでいました。
T高校へはほぼエスカレーターで進学できるとはいえ、私立だったので一応受験はしなければいけません。
N君とは中学三年生で初めて同じクラスになり、彼は僕よりも勉強ができたので教えてもらっているうちに仲良くなりました。
中三になると「受験」というワードが耳に入るようにはなりましたが、自分には関係ないなと思っていました。
そんな時にN君に
「しんたろうって勉強できるのにT高校にいくの?せっかくなら進学校に行った方がいいんじゃないの?」
と言われました。
僕にとっては目から鱗でした。
周りと同じくT高校に進学するのが当たり前で、その他の選択肢なんて一切考えたことがなかった僕に衝撃が走りました。
とはいえ、上述の通りうちの実家は教会ですので両親はT高校への進学を強く希望していた両親には最初は反対されました。
自分はもっと勉強したいから進学校に行きたいと力説し、なんとか説得しました。
- (家計的に)公立高校へ進学すること
- 夏休みに開催される宗教のイベントに3年間必ず参加すること
以上の条件は出されましたが別の高校への受験を許可されました。
奈良県は公立の進学校も多かったので厳しい条件ではなかったと思います。
あとから聞くとうちの両親は「どうせ落ちるだろう。」と思っていたみたいです 笑
周りはほとんど受験モードではありませんでしたが、そんな中でもN君と一緒に勉強に励みました。
N君は大阪にある私立の進学校を受験するので目標は違いましたが互いに切磋琢磨し、晴れて志望校に合格することができました。
N君とは今でも交流が続いていて、成人してからも何回か会ってお酒を飲んだりしています。
大人になってからN君に
「お前があの時に別の高校への進学を提示してくれたことはホントに感謝してる。」
と伝えたことがあるのですが、彼はそれを言ったことはまるで覚えていないようでした。
まぁ人生の転機なんて得てしてそんなものなのでしょう。
教会を継ぐことへの反発

公立の進学校への受験を決めたあたりから、自分の人生について色々と考えるようになりました。
「僕は教会を継ぎたいのか?」
「両親や信者さんに気を使っているだけでは?」
という疑問がどんどん大きくなっていった時期でもあったと思います。
中三の時点で神様がいるとは考えておらず、最終的には教会を継ぎたくないという結論に達しました。
両親が希望する宗教系のT高校へ行きたくないという反骨精神も受験勉強の原動力になっていたと思います。
しかし、教会を継ぎたくないということを打ち明けることはできませんでした。
最終的にそれをハッキリと伝えられたのは社会人になってからです。
やはり信者さんたちにも「教会の後継者として」可愛がられていたので、その思いを無碍にしてしまうことにかなり抵抗があったのです。
将来の話になると、ずっと相手に調子を合わせて自分が本当に思っていることを口にはできませんでした。
そもそもとして僕はゲイなので結婚するつもりもないし子供も持てないから後継者が生まれないのですが、当然そんなことも打ち明けられません。
まぁそれはまた別問題でゲイ云々関係なく僕は教会を継ぎたくなかったのです。
僕には下に2人男兄弟がいます。
僕が継がないなら弟のどちらかが継げば良いのでは、と思う方もいらっしゃるかと思うのですが、そこは前時代的、あるいは宗教的な思想が絡んできます。
「家は長男が継ぐべきだ。」
「教会に長男として生まれたということは、神様がそれを望まれている。」
といった具合です。
正直、こういう論調になると取り付く島がありません。
そもそも信仰心の強い両親とそうではない僕とでは同じ立場で議論できないので、話が平行線を辿ることは想像できると思います。
両親が洗脳されているとかではなく、そういう風に育ってきたからしょうがないことなのです。
彼らの信仰を否定するつもりもありませんが、こういう時は辟易してしまいます。
このように僕は社会人になるまで、両親に教会を継ぎたくないということを言えずに過ごしてしまいます。
思いのほか長くなってしまった……。
本当はこの投稿で石垣島に来た経緯くらいまでさらっと書くつもりだったのですが、思いのほか長くなってしまったので今日はここまでにしたいと思います。
自覚が無かったのですが僕は自分語りが好きなのでしょうか。
このペースだとあと2回くらい投稿しないと石垣島には来れなさそうですね。2回では到底収まりませんでした。
石垣島の紹介や日記と並行して投稿していこうと思います。
もし僕への個人的な質問などあればコメントや問い合わせフォームから送っていただければと思います。
それではまた。
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